民謡のある風景 記事一覧
●北海道 江差追分
北海道渡島半島の南端白神岬。海峡を隔てて、本州北端の津軽半島竜飛崎までは、約19km。三つの潮流がひしめく津軽海峡は、航行の難所とされてきましたが、人はそれでも、海を越えました。→つづきを読む
●青森県 十三の砂山
青森県五所川原市十三(じゅうさん)。太宰治が「人に捨てられた孤独の水たまり」と言った十三湖をまたいで、十三大橋がかかります。橋は、6年の歳月を費やして1979(昭和54)年に完成したもので、全長234m。→つづきを読む
●秋田県 秋田音頭
見事な雪の郷土の地口精神
日本海に面した秋田県は、佐竹20万石の昔から、冬は雪におおわれ、陽の射す日は数えるほどしかありません。冬の間、家に閉じこもることを余儀なくされると、炉端の話に花が咲き、艶笑謂や、ユーモラスな地口がもてはやされるようになるのかもしれません。→つづきを読む
日本海に面した秋田県は、佐竹20万石の昔から、冬は雪におおわれ、陽の射す日は数えるほどしかありません。冬の間、家に閉じこもることを余儀なくされると、炉端の話に花が咲き、艶笑謂や、ユーモラスな地口がもてはやされるようになるのかもしれません。→つづきを読む
●岩手県 南部牛追唄
●宮城県 さんさ時雨
東北に根付いた祝い唄のこころ
青葉城は、仙台・伊達62万石のシンボルでしたが、今は城跡が残るのみとなっています。本丸は明治4〜5年に取り払われ、15年には二の丸に落電、大手門を残して、伊達家累代の建物がことごとく焼失しました。→つづきを読む
青葉城は、仙台・伊達62万石のシンボルでしたが、今は城跡が残るのみとなっています。本丸は明治4〜5年に取り払われ、15年には二の丸に落電、大手門を残して、伊達家累代の建物がことごとく焼失しました。→つづきを読む
●山形県 花笠踊り
力集めて創り上げた東北の唄
南の『阿波踊り』に対する、北の踊りが、『花笠踊り』です。この踊りは、戦後に急成長したもので、山形市を中心に尾花沢市や大石田町で、夏のビッグイベントに数えられるまでになりました。→つづきを読む
南の『阿波踊り』に対する、北の踊りが、『花笠踊り』です。この踊りは、戦後に急成長したもので、山形市を中心に尾花沢市や大石田町で、夏のビッグイベントに数えられるまでになりました。→つづきを読む
●福島県 会津磐梯山
会津の酒どころに伝わる熱狂踊り
福島県会津地方は銘酒の産地、つまりは水よく、米よく、大気澄んだ土地柄。その大地に、誠にどっしりとそびえているのが、磐梯山です。山容は穏やかですが、1888(明治21)年大爆発を起こし、北方に開くU字型の爆裂火口が出来ました。→つづきを読む
福島県会津地方は銘酒の産地、つまりは水よく、米よく、大気澄んだ土地柄。その大地に、誠にどっしりとそびえているのが、磐梯山です。山容は穏やかですが、1888(明治21)年大爆発を起こし、北方に開くU字型の爆裂火口が出来ました。→つづきを読む
●茨城県 磯節
潮風に三味の音流れる水戸三浜
栃木の北に発した那珂川は、茨城へ出て太平洋に注ぎます。茨城県44市町村のうち、太平洋に向かい合うのは7市1町1村。大なり小なり、海との関わりの中で暮らしてきました。那珂川は、この長い海岸線の中央辺りで海と出合います。→つづきを読む
栃木の北に発した那珂川は、茨城へ出て太平洋に注ぎます。茨城県44市町村のうち、太平洋に向かい合うのは7市1町1村。大なり小なり、海との関わりの中で暮らしてきました。那珂川は、この長い海岸線の中央辺りで海と出合います。→つづきを読む
●栃木県 八木節
旧街道が育てた口説き唄
日光から宇都宮方面へ向かう街道は、栃木県・今市(日光市)で分岐し、八木(足利市)、群馬県・太田、木崎を経て、高崎に近い倉賀野で中山道と合流します。この分岐した道は、例幣使街道と呼ばれ、昔、京都から下向した勅使が、日光東照宮大祭へと赴く・・→つづきを読む
日光から宇都宮方面へ向かう街道は、栃木県・今市(日光市)で分岐し、八木(足利市)、群馬県・太田、木崎を経て、高崎に近い倉賀野で中山道と合流します。この分岐した道は、例幣使街道と呼ばれ、昔、京都から下向した勅使が、日光東照宮大祭へと赴く・・→つづきを読む
●群馬県 草津節
病人が命をかけた一筋の唄
JR吾妻線は、上越線の渋川から分かれて、大前まで約55km、吾妻川沿いに長野県境へと向かいます。渋川から12番目の駅が長野原草津口で、ここで降りる客の大半は、足早に草津温泉行きのバス停に向かいます。→つづきを読む
JR吾妻線は、上越線の渋川から分かれて、大前まで約55km、吾妻川沿いに長野県境へと向かいます。渋川から12番目の駅が長野原草津口で、ここで降りる客の大半は、足早に草津温泉行きのバス停に向かいます。→つづきを読む
●埼玉県 秩父音頭
山峡に湧く情熱と郷土愛と
埼玉の西域、甲武信ケ岳に発した荒川は、延々144kmの流れとなって東京湾に注ぎます。その荒川が、秩父盆地から関東平野へ抜け出す区域、延長約4kmにわたるのが、「地球の窓」「地質学の宝庫」と言われる長瀞です。水は緑青色の深く静かな流れを見せ、・・→つづきを読む
埼玉の西域、甲武信ケ岳に発した荒川は、延々144kmの流れとなって東京湾に注ぎます。その荒川が、秩父盆地から関東平野へ抜け出す区域、延長約4kmにわたるのが、「地球の窓」「地質学の宝庫」と言われる長瀞です。水は緑青色の深く静かな流れを見せ、・・→つづきを読む
●千葉県 銚子大漁節
漁業基地が生んだ創作民謡の傑作
利根川の河口に開けた銚子は、ほとんど三方を海に囲まれています。古くから漁港として知られ、イワシ漁の基地として伸びました。犬吠崎から太東崎に至る九十九里浜の沖合は、イワシの回遊が多く、19世紀には全国一のイワシ漁場と言われました。→つづきを読む
利根川の河口に開けた銚子は、ほとんど三方を海に囲まれています。古くから漁港として知られ、イワシ漁の基地として伸びました。犬吠崎から太東崎に至る九十九里浜の沖合は、イワシの回遊が多く、19世紀には全国一のイワシ漁場と言われました。→つづきを読む
●東京都 江戸木遣り
イナセな気風伝えて生き残る
正月。東京では、出初め式で鳶の唄う『江戸木遣り』が聞かれます。江戸・町火消しの伝統を伝える鳶たちは、なんともイナセです。木遣りが粋に聞こえるのは、そのせいかもしれません。→つづきを読む
正月。東京では、出初め式で鳶の唄う『江戸木遣り』が聞かれます。江戸・町火消しの伝統を伝える鳶たちは、なんともイナセです。木遣りが粋に聞こえるのは、そのせいかもしれません。→つづきを読む
●神奈川県 箱根長持唄
緩やかに時が流れた旅情たたえて
車で箱根を越えると、そこが、昔「天下の瞼」と言われるほどの難所だったとは信じ難いものがあります。時代が道を変えてしまったのです。旧街道は、湯本の手前から折れて須雲川に沿って進み、二子山のふもとを回って関所へ出るようになっていました。→つづきを読む
車で箱根を越えると、そこが、昔「天下の瞼」と言われるほどの難所だったとは信じ難いものがあります。時代が道を変えてしまったのです。旧街道は、湯本の手前から折れて須雲川に沿って進み、二子山のふもとを回って関所へ出るようになっていました。→つづきを読む
●山梨県 縁故節
ジャガイモを救荒食糧に育てた里
山梨県北部に源流をもつ塩川は、八ケ岳から流れる須玉川と合流して、韮崎市の南部で釜無川に注ぎます。韮崎は、昔の富士川水運の終点に当たり、甲州、佐久、駿信の街道がここから分かれていきます。諸国の旅人が行き交い、農産物の集散地としても・・→つづきを読む
山梨県北部に源流をもつ塩川は、八ケ岳から流れる須玉川と合流して、韮崎市の南部で釜無川に注ぎます。韮崎は、昔の富士川水運の終点に当たり、甲州、佐久、駿信の街道がここから分かれていきます。諸国の旅人が行き交い、農産物の集散地としても・・→つづきを読む
●長野県 小諸節
悠久の歴史つなぐ日本民謡
長野、群馬両県にまたがる浅間山は、標高2542m、基底面積はおよそ450平方kmに及びます。雄大な裾野には草地、針葉樹林が広がり、南東に軽井沢、沓掛(中軽井沢)、追分、南西に小諸の旧宿場町がつながります。→つづきを読む
長野、群馬両県にまたがる浅間山は、標高2542m、基底面積はおよそ450平方kmに及びます。雄大な裾野には草地、針葉樹林が広がり、南東に軽井沢、沓掛(中軽井沢)、追分、南西に小諸の旧宿場町がつながります。→つづきを読む
●新潟県 佐渡おけさ
落日の中の憂愁の旅情
佐渡のおけさか、おけさの佐渡か、佐渡へ渡る船上で、まず、おけさが流れます。新潟から佐渡の両津へ、フェリーで2時間30分。ジェットフォイルでは約1時間。午後の便だと、海に沈む夕陽が、島をシルエットに描き出し、旅情もひとしお。→つづきを読む
佐渡のおけさか、おけさの佐渡か、佐渡へ渡る船上で、まず、おけさが流れます。新潟から佐渡の両津へ、フェリーで2時間30分。ジェットフォイルでは約1時間。午後の便だと、海に沈む夕陽が、島をシルエットに描き出し、旅情もひとしお。→つづきを読む
●富山県 越中おわら節
生きる重さ支えて唄が広がる
富山平野の南端に位置する八尾(富山市)は、その大半が丘陵地です。16世紀半ばからは浄土真宗の聞名寺の門前町として栄え、各種の産業もここで生まれました。が、この町を有名にしたのは、何と言っても、毎年9月に行われる「風の盆」だと言っても・・→つづきを読む
富山平野の南端に位置する八尾(富山市)は、その大半が丘陵地です。16世紀半ばからは浄土真宗の聞名寺の門前町として栄え、各種の産業もここで生まれました。が、この町を有名にしたのは、何と言っても、毎年9月に行われる「風の盆」だと言っても・・→つづきを読む
●石川県 山中節
温泉情緒たたえて江戸期から
湯どころと言われる加賀には山中、山代、片山津、粟津と名湯がそろい、それぞれの風情を見せます。中でも山中は唄と共によく知られ、古くから文人墨客が訪れました。山中温泉は、加賀山地の南部を北へ流れる大聖寺川の中流の渓谷にあります。→つづきを読む
湯どころと言われる加賀には山中、山代、片山津、粟津と名湯がそろい、それぞれの風情を見せます。中でも山中は唄と共によく知られ、古くから文人墨客が訪れました。山中温泉は、加賀山地の南部を北へ流れる大聖寺川の中流の渓谷にあります。→つづきを読む
●福井県 三国節
港の賑わいしのばせる盆踊唄
日本海の荒波が、輝石安山岩の巨大な壁を削り、高さ25mの東尋坊を造りあげました。長さ約1km、うねるように柱状節理の巨岩が連なります。九頭竜川河口に広がる三国町(坂井市)は、その東尋坊観光の玄関口として知られます。→つづきを読む
日本海の荒波が、輝石安山岩の巨大な壁を削り、高さ25mの東尋坊を造りあげました。長さ約1km、うねるように柱状節理の巨岩が連なります。九頭竜川河口に広がる三国町(坂井市)は、その東尋坊観光の玄関口として知られます。→つづきを読む
●静岡県 農兵節
農兵の士気を鼓舞した流行歌
標高3776mの富士山は、いわずと知れた日本最高の名山。一富士、二鷹、三茄子(なすび)と、めでたい夢のトップに挙げられています。富士山には、夏でも雪が降ります。その積雪が融け、数百年の時をかけて地底を潜り、三島の池に湧出します。→つづきを読む
標高3776mの富士山は、いわずと知れた日本最高の名山。一富士、二鷹、三茄子(なすび)と、めでたい夢のトップに挙げられています。富士山には、夏でも雪が降ります。その積雪が融け、数百年の時をかけて地底を潜り、三島の池に湧出します。→つづきを読む
●愛知県 岡崎五万石
家康につながる誇り、今に伝えて
岡崎は、徳川幕藩体制を開いた徳川家康生誕の地です。5万石の城跡に立つ今の天守閣は、1958(昭和34)年に再建されたものですが、その中は、史実を誇るかのように、家康に関わる古い資料の展示場となっています。→つづきを読む
岡崎は、徳川幕藩体制を開いた徳川家康生誕の地です。5万石の城跡に立つ今の天守閣は、1958(昭和34)年に再建されたものですが、その中は、史実を誇るかのように、家康に関わる古い資料の展示場となっています。→つづきを読む
●岐阜県 郡上踊り
水清き奥美濃の歴史伝えて
岐阜の郡上市は、長良川上流と支流の吉田川が交わる盆地に開け、北美濃の商業中心地として賑わいます。町のあちこちに清水が湧き、これがまた天然の名水とあって、飲料メーカーも利用しているといいます。→つづきを読む
岐阜の郡上市は、長良川上流と支流の吉田川が交わる盆地に開け、北美濃の商業中心地として賑わいます。町のあちこちに清水が湧き、これがまた天然の名水とあって、飲料メーカーも利用しているといいます。→つづきを読む
●三重県 伊勢音頭
祝祭の町に生き続ける歴史の唄
三重は、何と言っても伊勢神宮のある土地。神宮を外して三重は語れません。初参り客は百万を超し、20年ごとの遷宮もまた有名です。2033年には、第63回目の遷宮が行われます。伊勢は、神宮の鳥居前に開けた町で、江戸の頃は、遷宮の年ごとに爆発的に・・→つづきを読む
三重は、何と言っても伊勢神宮のある土地。神宮を外して三重は語れません。初参り客は百万を超し、20年ごとの遷宮もまた有名です。2033年には、第63回目の遷宮が行われます。伊勢は、神宮の鳥居前に開けた町で、江戸の頃は、遷宮の年ごとに爆発的に・・→つづきを読む
●滋賀県 江州音頭
幕末から続いた圧巻の熱狂ぶり
万葉の歌人・柿本人麻呂が「近江の海」と歌った琵琶湖は、滋賀県域のおよそ6分の1を占め、日本最大の淡水湖として知られます。一帯は、7世紀に始まる大津京以来の文化の郷でもあります。→つづきを読む
万葉の歌人・柿本人麻呂が「近江の海」と歌った琵琶湖は、滋賀県域のおよそ6分の1を占め、日本最大の淡水湖として知られます。一帯は、7世紀に始まる大津京以来の文化の郷でもあります。→つづきを読む
●京都府 宇治茶摘み唄
雅に将軍献上茶の昔偲ばせて
京都府宇治市一帯は、昔から茶どころと言われてきました。宇治での茶の栽培は、室町時代にさかのぼり、その後も幕府の保護を受けて、東宇治、宇治など宇治川の扇状地で高級茶を作り続けました。その伝統をひいて、京都府では、今も玉露、煎茶、かぶせ茶・・→つづきを読む
京都府宇治市一帯は、昔から茶どころと言われてきました。宇治での茶の栽培は、室町時代にさかのぼり、その後も幕府の保護を受けて、東宇治、宇治など宇治川の扇状地で高級茶を作り続けました。その伝統をひいて、京都府では、今も玉露、煎茶、かぶせ茶・・→つづきを読む
●奈良県 吉野川筏唄
吉野杉の香気偲ばせる過疎の古里
奈良と三重にまたがる大台ケ原は、全国一の多雨地帯と言われます。吉野川はそこを源流とし、和歌山へ出て紀ノ川と名を変え、紀伊水道に注ぎます。全長136km。大阪に隣接し、人口がふくらむ奈良県にとって、この川は貴重な水資源です。その川を、昔は・・→つづきを読む
奈良と三重にまたがる大台ケ原は、全国一の多雨地帯と言われます。吉野川はそこを源流とし、和歌山へ出て紀ノ川と名を変え、紀伊水道に注ぎます。全長136km。大阪に隣接し、人口がふくらむ奈良県にとって、この川は貴重な水資源です。その川を、昔は・・→つづきを読む
●和歌山県 串本節
幕末の唄と調和する心地よい古里
JR紀勢本線串本駅から20分ばかり歩くと、海岸から一直線に延びた形で、大小40ほどの岩が点々と続いている風景に出会います。橋の杭を思わせるところから、橋杭岩と呼ばれていますが、どことなく、対岸の大島へ行きつこうとして果たせない、未練の思い・・→つづきを読む
JR紀勢本線串本駅から20分ばかり歩くと、海岸から一直線に延びた形で、大小40ほどの岩が点々と続いている風景に出会います。橋の杭を思わせるところから、橋杭岩と呼ばれていますが、どことなく、対岸の大島へ行きつこうとして果たせない、未練の思い・・→つづきを読む
●大阪府 河内音頭
自在に生きる上方気質の古里
大阪府の中東部に広がる河内地方は、中世の頃、あの楠正成も守護を務めた地です。江戸後期からは、大坂の穀倉地帯とも呼ばれ、独特の農民気質を育てました。この地方で広く唄われてきたのが、『河内音頭』で、常に脱皮を繰り返し、時代時代で・・→つづきを読む
大阪府の中東部に広がる河内地方は、中世の頃、あの楠正成も守護を務めた地です。江戸後期からは、大坂の穀倉地帯とも呼ばれ、独特の農民気質を育てました。この地方で広く唄われてきたのが、『河内音頭』で、常に脱皮を繰り返し、時代時代で・・→つづきを読む
●兵庫県 デカンショ節
一高生が唄い広めた男たちの唄
兵庫県丹波篠山市は、丹波山塊の間に開けた盆地にあります。盆地からの道は、天引峠、天王峠、鐘ケ坂などの峠を越す道となります。盆地のほば中央に、標高459mの高城山がそびえ、丹波富士の名で呼ばれています。→つづきを読む
兵庫県丹波篠山市は、丹波山塊の間に開けた盆地にあります。盆地からの道は、天引峠、天王峠、鐘ケ坂などの峠を越す道となります。盆地のほば中央に、標高459mの高城山がそびえ、丹波富士の名で呼ばれています。→つづきを読む
●鳥取県 貝殼節
漁絶えた浜に残る貝とりの一節
山陰本線を浜村駅で降りると、駅を挟んで温泉町が広がります。町は海につながり、その海で、昔はホタテがとれました。記録によると、鳥取県気高地方一帯の海岸では、江戸期の頃から、周期的にホタテが大量発生し、浜は貝漁で賑わったといいます。→つづきを読む
山陰本線を浜村駅で降りると、駅を挟んで温泉町が広がります。町は海につながり、その海で、昔はホタテがとれました。記録によると、鳥取県気高地方一帯の海岸では、江戸期の頃から、周期的にホタテが大量発生し、浜は貝漁で賑わったといいます。→つづきを読む
●岡山県 下津井節
白壁の家に映える港唄
岡山県南の倉敷・児島の一帯は、古くから商工業が発達した所で、大和朝廷の頃には、児島に朝廷直轄の蔵が置かれ、室町時代には、児島半島突端の下津井が、早くも天然の良港として栄えました。→つづきを読む
岡山県南の倉敷・児島の一帯は、古くから商工業が発達した所で、大和朝廷の頃には、児島に朝廷直轄の蔵が置かれ、室町時代には、児島半島突端の下津井が、早くも天然の良港として栄えました。→つづきを読む
●島根県 安来節
ドジョウすくって民謡もヒット
山陰本線で米子から安来へ。中海に面した安来は、昔、山陰道の宿場町・港町として栄えました。中海は中江 - 瀬戸で美保湾に通じ、今も安来商港は、島根の東の玄関口と言われています。「安来」とくれば、言わずと知れた『安来節』の発祥地。→つづきを読む
山陰本線で米子から安来へ。中海に面した安来は、昔、山陰道の宿場町・港町として栄えました。中海は中江 - 瀬戸で美保湾に通じ、今も安来商港は、島根の東の玄関口と言われています。「安来」とくれば、言わずと知れた『安来節』の発祥地。→つづきを読む
●広島県 音戸の舟唄
清盛ゆかりの瀬戸に生きる心意気
広島県呉市と、倉橋島の音戸町は橋で結ばれています。その下が音戸の瀬戸。長さ約650mの水路ですが、幅は最も狭いところで約90m。いくつかの暗礁があって、潮の干満による潮流は、約4ノットとかなり早くなっています。昔は、瀬戸内海有数の難所・・→つづきを読む
広島県呉市と、倉橋島の音戸町は橋で結ばれています。その下が音戸の瀬戸。長さ約650mの水路ですが、幅は最も狭いところで約90m。いくつかの暗礁があって、潮の干満による潮流は、約4ノットとかなり早くなっています。昔は、瀬戸内海有数の難所・・→つづきを読む
●山口県 男なら/オーシャリ節
維新の風雪、今に伝えた応援歌
山口県萩市は、1600(慶長5)年から260年間、長州藩36万石の城下町として栄えました。この市の北部に、菊ケ浜と呼ばれる海岸があります。指月山と鶴江台の間に広がる弓なりの形の砂浜で、今では北長門海岸国定公園の一部になっています。→つづきを読む
山口県萩市は、1600(慶長5)年から260年間、長州藩36万石の城下町として栄えました。この市の北部に、菊ケ浜と呼ばれる海岸があります。指月山と鶴江台の間に広がる弓なりの形の砂浜で、今では北長門海岸国定公園の一部になっています。→つづきを読む
●徳島県 阿波踊り
殿様が今に残した大観光資源
南国・阿波徳島の夏は猛暑続き。8月の平均気温は28度。その暑さに挑むように、毎年8月12日から18日まで、熱狂的な阿波踊りが繰り広げられます。地元では、世界の二大祭りはリオのカー二バルと徳島の阿波踊りだ、と胸を張ります。→つづきを読む
南国・阿波徳島の夏は猛暑続き。8月の平均気温は28度。その暑さに挑むように、毎年8月12日から18日まで、熱狂的な阿波踊りが繰り広げられます。地元では、世界の二大祭りはリオのカー二バルと徳島の阿波踊りだ、と胸を張ります。→つづきを読む
●香川県 金毘羅船々
明るくリズム弾んで瀬戸大橋時代へ
香川県琴平町の金毘羅宮、というよりは「さぬきのコンピラさん」と言った方が通りが早いでしょう。「コンピラさん」は象頭山に鎮座し、本宮までは785段の石段の道です。奥宮まで、更に石段が続きます。山の上だけに眺望がすばらしく、晴天ならまさに・・→つづきを読む
香川県琴平町の金毘羅宮、というよりは「さぬきのコンピラさん」と言った方が通りが早いでしょう。「コンピラさん」は象頭山に鎮座し、本宮までは785段の石段の道です。奥宮まで、更に石段が続きます。山の上だけに眺望がすばらしく、晴天ならまさに・・→つづきを読む
●高知県 よさこい節
唄が知られて、川がないのに橋がある
土佐の高知の播磨屋橋くらい有名な橋もないでしょう。ご存じ『よさこい節』で、全国的にその名を知られています。土佐の代表的民謡であることは言うまでもありませんが、ペギー葉山の『南国土佐を後にして』の中に歌い込まれて、更に有名になりました。→つづきを読む
土佐の高知の播磨屋橋くらい有名な橋もないでしょう。ご存じ『よさこい節』で、全国的にその名を知られています。土佐の代表的民謡であることは言うまでもありませんが、ペギー葉山の『南国土佐を後にして』の中に歌い込まれて、更に有名になりました。→つづきを読む
●愛媛県 伊予節
文化の深さに支えられた粋
道後温泉は、古くから「伊予の湯」として知られ、万葉の歌人・山部赤人もやって来て、「昔の天子も行幸なさった温泉」と、歌で称えています。道後は、城下町・松山の北東。木造3層の道後温泉本館を取り巻くようにして、華やかに旅館群が並びます。→つづきを読む
道後温泉は、古くから「伊予の湯」として知られ、万葉の歌人・山部赤人もやって来て、「昔の天子も行幸なさった温泉」と、歌で称えています。道後は、城下町・松山の北東。木造3層の道後温泉本館を取り巻くようにして、華やかに旅館群が並びます。→つづきを読む
●大分県 草地踊り
土の匂い超えた仏の里の踊り
国東半島は、瀬戸内海の周防灘と伊予灘の間に丸く突き出た仏の里。海岸沿いにぐるりと国道が巡り、そこから半島の中心部へ向かって、放射状に道が延びています。どれもが仏と出会う道です。半島の西の根っこの辺りにある豊後高田市もまた仏の里です。→つづきを読む
国東半島は、瀬戸内海の周防灘と伊予灘の間に丸く突き出た仏の里。海岸沿いにぐるりと国道が巡り、そこから半島の中心部へ向かって、放射状に道が延びています。どれもが仏と出会う道です。半島の西の根っこの辺りにある豊後高田市もまた仏の里です。→つづきを読む
●福岡県 黒田節
マスコミに乗った筑前の誇り
JR博多駅頭、いやでも目に入るのが、大盃と槍を抱えた黒田武士像。その地が、あの有名な『黒田節』の古里であることを強調してやまぬかのようです。節は、稚楽『越天楽(平調)』の曲詞からとり、詞は七五調4句で、「今様」という昔の流行唄・・→つづきを読む
JR博多駅頭、いやでも目に入るのが、大盃と槍を抱えた黒田武士像。その地が、あの有名な『黒田節』の古里であることを強調してやまぬかのようです。節は、稚楽『越天楽(平調)』の曲詞からとり、詞は七五調4句で、「今様」という昔の流行唄・・→つづきを読む
●佐賀県 岳の新太郎さん
●長崎県 ぶらぶら節
観光長崎のゆとり偲ばせて
1571(元亀2)年からの港町だった長崎は、江戸期、ただ一つ海外に開かれた日本の出窓でした。人工の島である出島を外国人居留地とし、長崎は貿易港として栄えました。さまざまな西欧の文物がここから入り、貿易の利益は、かまど銀などとして、町人・・→つづきを読む
1571(元亀2)年からの港町だった長崎は、江戸期、ただ一つ海外に開かれた日本の出窓でした。人工の島である出島を外国人居留地とし、長崎は貿易港として栄えました。さまざまな西欧の文物がここから入り、貿易の利益は、かまど銀などとして、町人・・→つづきを読む
●熊本県 牛深ハイヤ
海路で運ばれた唄の源流
熊本県の天草は、隠れキリシタンの里と言われ、崎津港の天主堂は、天草を代表する景観となっています。天草は、大小120余の島からなり、天然の良港が多い土地です。崎津はその一つですが、唄で知られた牛深港も、各方面への定期船が発着して、海の路・・→つづきを読む
熊本県の天草は、隠れキリシタンの里と言われ、崎津港の天主堂は、天草を代表する景観となっています。天草は、大小120余の島からなり、天然の良港が多い土地です。崎津はその一つですが、唄で知られた牛深港も、各方面への定期船が発着して、海の路・・→つづきを読む
●宮崎県 刈干切り唄
大鎌振るう労働の消えた古里
宮崎は県域の7割以上が山岳部。建国神話で有名な高千穂の峰もここにあります。恐らく今ではご存じの方がほとんどいないであろう『紀元節祝歌』は、こう歌い出します。「雲に聳える高千穂の高根おろしに・・・」→つづきを読む
宮崎は県域の7割以上が山岳部。建国神話で有名な高千穂の峰もここにあります。恐らく今ではご存じの方がほとんどいないであろう『紀元節祝歌』は、こう歌い出します。「雲に聳える高千穂の高根おろしに・・・」→つづきを読む
●鹿児島県 鹿児島小原良節
噴煙の桜島を唄い、にぎにぎしく変身
鹿児島には「議を言うな」という言葉があります。理屈を言うな、不言実行、ということらしいですが、錦江湾を挟んで噴煙を吐く桜島は、優柔不断を嫌う、そんな土地柄にふさわしい山です。桜島は、名は島ですが、今は大隅半島と陸続きになっています。→つづきを読む
鹿児島には「議を言うな」という言葉があります。理屈を言うな、不言実行、ということらしいですが、錦江湾を挟んで噴煙を吐く桜島は、優柔不断を嫌う、そんな土地柄にふさわしい山です。桜島は、名は島ですが、今は大隅半島と陸続きになっています。→つづきを読む
●沖縄県 安里屋ユンタ
南国の光に映える叙事詩
北国が冬に神髄を見せるように、南国は夏に真の姿を現します。沖縄も真夏が最も生き生きと輝きます。海も、空も、樹々も光に包まれます。浦島太郎が行った竜宮城は、琉球城ではなかったか、と言われるくらい、南の風土はまぶしさに満ちています。→つづきを読む
北国が冬に神髄を見せるように、南国は夏に真の姿を現します。沖縄も真夏が最も生き生きと輝きます。海も、空も、樹々も光に包まれます。浦島太郎が行った竜宮城は、琉球城ではなかったか、と言われるくらい、南の風土はまぶしさに満ちています。→つづきを読む
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